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聖リドヴィナおとめ    St. Lidwina Virg.                       記念日 4月 15日


 我等はなぜ、また何の為に苦しまねばならぬか?これは古来人類にとって一つの大いなる謎である。この謎を解く鍵として、天主は旧約時代ヨブという聖人を世に遣わし給うたが、新訳時代に於いて同じ使命を託されたと見るべき人の中に、聖女リドヴィナがある。

 彼女は1380年3月18日(その年の枝の祝日)、オランダのシーダム市に九人兄弟中ただ一人の女の子として生まれた。生まれつき器量よしで、柄も年齢の割に大きかったから、12歳の時早くも結婚の申し込みがあり、長ずるにつれて益々求婚者が増えた。しかし彼女は幼時より聖母マリアを深く信心し、同様終生童貞を守るつもりであったので、降るような縁談をむしろ心憂い事に思い、なにとぞ人の心を惹かぬ身体となりますようにと常々祈っていたのである。
 この祈りが聞き入れられたのであろうか、彼女が15歳の春の、聖母御潔めの祝日(2月2日)の事であった。氷滑りをして遊んでいると、友達の一人が転ぼうとしてかの彼女にすがりついたため、彼女も共に転倒し、あばら骨一本を打ち折るという大怪我をしたのであった。
 それから彼女は床に就く身となったが、やがて膿胸となり、いくら医師の手を煩わしても更に快復の兆しが見えず。病勢は日増しに悪化するばかり。それでも最初の三年間は時々無理に起きあがって聖堂へ運んでもらい、御ミサにあずかったこともあったが、その後死ぬまでの35年間は全く寝たきりの生活を続けねばならなかったのである。そしてその食事も初めは時々焼き林檎一つ或いは麦酒に浸したパン一切れを摂っていたが、後にはそれも嚥下不可能になり、一週間にぶどう酒半本、それも飲み得ずなってからはマース河の水で僅かに咽喉を潤し、最後の19年間は全く何も飲食せず、奇跡的に生命を保った。
 今彼女の病苦の数々を記せば、膿胸で身体の中に膿がたまり、又虫が湧き、全身には至る所に吹き出物が出来、それが破れて傷となり、殊に顔の所は額から顎にかけてそういう傷が痛々しい口を開いているという有様。初めの頃家人は彼女をリンネルの敷布を敷いた床に寝かせておいたが、膿汁に汚れるので、藁布団にし、それも傷口に付着する所からついには板の上に裸で横臥さす事とした。そして彼女は7年間頭と左の腕しか動かすことが出来ず、いつも仰向けに寝たままであった。ことに不思議なのは、彼女の身体から常に膿み腐った血が流れているにも拘わらず、少しも悪臭を放たぬばかりか、一種得も言われぬ芳香が病室内に充ち満ちていた事である。しかしその傷の痛みは筆舌に尽くしがたく、その上歯痛、間歇熱、激しい頭痛等にも相次いで襲われ、為にたった一つの救いなる眠りさえ得る事が出来なかった。
 こういう肉体的苦痛もさることながら、病床に於ける精神的苦悩も並一通りではなかった。最初の内こそ彼女を気の毒に思ってしばしば見舞いに来てくれた近隣の人々や友達も、病の長引くにつれて足が遠のき、誰一人どうだと尋ねる者もなくなり、その上両親と看護役のペトロニラという姪も死ぬ、兄嫁は彼女を厄介者にして折々はその顔に唾を吐きかけるという有様。リドヴィナの悲しさやるせなさはどれほどであったろう。そういう彼女の心を慰めてくれるのは、ただ聴罪司祭ヨハネ・ポスト師の勧告によって始めた、イエズス御受難の黙想ばかりであった。

 しかし天主は試練と共に必ず助けをもお与えになる。彼女はその特別の御恵みに依って度々守護の天使がわが傍にいるのを見て、言いようのない心強さを覚えた。なお彼女に一切忍苦の力を与えたのは、言うまでもなく主の御聖体で、彼女の熱心な懇請を諒とした司祭は、病状の許す限りこれを授け、時には彼女の病室でミサ聖祭を執り行う事もあった。そういう日のリドヴィナの喜びは言語に絶するばかりであった。
 彼女は又幾たびも脱魂状態に陥った事がある。その間彼女は主の御受難を目のあたりに仰ぎ見、主との深い内的一致を体験して名状し難い幸福を味わった。そして病気がこの主との一致に至る一つの途であることを悟った彼女は、ある時「たとい天使祝詞を一度唱えさえすれば、この病気がすぐに治るといわれても、私はそれを唱えないでしょう。私は自分の意からでは治ろうと思いません。ただ主の御旨に従いたいばかりであります」と語ったそうである。
 リドヴィナの憐れむべき状態を見て、彼女の父母がどれほど心に悲しんだかは察するに難くない。ある日彼等が思わずその悲しみを漏らした所、それを聞いた信心深いデルフトという医者は「私ならリドヴィナさんのような娘さんがあれば、悲しむよりは喜びますね。もしリドヴィナさんを金と引き換えに、私の娘に下さるならば、リドヴィナさんの体重だけ金貨をあげても惜しいとは思いませんよ」と答えたという。

 その内次第にリドヴィナの不思議な病状が近郷近在の評判になり始めた。彼女に逢い、代祷を願い、又力強いその信仰の言葉を聞きたいと来訪する人々がだんだん多くなってきた。苦しみの償いの力を知っている彼女は、人を改心させたり慰めたりする為、己の病苦を天主に献げ、眠れぬ夜などは徹宵祈り明かすのを常とした。
 リドヴィナの代願により恵みを蒙った人々は、礼心によく金品を贈った。すると彼女はそれを姪のペトロニラの手からまた姪の死後は聴罪司祭の手から、貧しい人々に施すのであった。かようにして彼女の病室は多くの人々の霊肉救済の場所となった訳である。
 かく身動きも出来ぬ不自由な病床生活を送ること38年、ようやくにしてリドヴィナにも解放の日が近づきつつあった。ある時守護の天使が彼女に一本のバラの枝を見せて、このつぼみがみな咲きほころびた時汝はこの世を去るであろうと言った。所が1433年のキリスト復活祭の頃、その枝には美しい花が爛漫と咲き乱れたので、彼女は最期の日の迫ったのを知った。と、果たして胆石病その他の余病を併発し、ついに復活祭から三日目の4月14日永眠し、この世の苦痛に引き換えて天国の永福を楽しむ身とはなったのである。しかも不思議な事にその死体は、総ての傷跡全く癒えて美しく輝き、血色も良く、生前とは打って変わった微妙な相を現じたから、人々は早くも彼女を聖女の如く崇め、その遺骸を見に来る者引きも切らず、ようよう死後四日目に盛大な式を行ってシーダムの墓地に埋葬したが、その後彼女の塋域には数多奇跡も行われ、今ではその墓の上に麗しい聖堂が建てられている。

教訓

 聖女リドヴィナは一生を活ける屍の如き廃人として送った憐れな者と思う人もあろうが、その身動きも出来ぬ彼女が病床から数多の人々の霊肉に与えた恵みの広大なるを思えば、立派な功績をたてた女丈夫と感嘆せずにはいられない。実際如何なる苦痛も、信心を以て自らまたは衆人の罪の償いの為耐え忍べば、決して無駄にはならぬのである。さればこそ聖パウロも「我今汝等の為に苦しむを喜ぶ。又キリストの御苦しみの欠けたる所を、御体なる教会の為にわが肉体に於いて補うなり」(コロサイ 1−24)と、コロサイ人に書き送ったのであった。